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古川柳のもっとも大きな特徴は、<うがち>の視線で書かれた句が多いことだった。近代化の過程で自我の表出が普通のことになり、古川柳に書かれた良き人情は自我の表出に止揚されたという認識が定着、六大家や吉川雉子郎などが多くの佳作を書いた。さらに民主主義が伝播するなかで、作者の自我と、社会状況や境涯との関係性に生じる叙情が一般的な共感レベルで書かれて、そこに<うがち>の視線が活きた――とする単純だが首肯できる歴史観がある。私川柳として書かれた佳作はとても多くあり、他の短詩型文芸とならびつつ<うがち>の感を発散、川柳らしさを温存しつつ飽和状態となった。
『草地豊子集』(セレクション柳人 邑書林刊)のもっとも大きな見所、読み所は、私川柳の飽和から離れた位置で、現代人の日常的な感性による<うがち>が書かれていることだ。
私性の表出を否定しているのではない。私性を書くときにも、川柳的な<うがち>を上位にして、川柳の現代性、川柳眼(アイ)の柔軟性を世に問うているのだ。
そこに<うがち>と抒情の融合があり、生動感をもって現われている。
現代川柳のひとつの書き方が、このようにあると感じさせてくれる句集である。
入院の袋ことこと鳴るコップ
犬の居たところが少し暖かい
馥郁と育つものあり冷暗所
切る人を切ってねばつくアスファルト
院長が変わり油絵がかわり
夕ざくら切手の甘さ舌にあり
ふるさとは崩壊途上納戸色
揉み出すと雨の匂いのするヨモギ
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